天神さまと梅の関係とは?梅との深い関りや祭りについても解説

天神さまと梅の関係とは?梅との深い関りや祭りについても解説

天神様(天満宮)は古くから梅の木と深い関係があります。全国にある天神様には梅の木が植えられていることが多いです。ここでは、なぜ天神様と梅の木が関係あるのか、天満宮にある梅にちなんだものや開催される祭りについてご紹介します。

記事の目次

  1. 1.天神様とは
  2. 2.天神様と梅の関係
  3. 3.太宰府天満宮と梅
  4. 4.天神様と梅に関わる祭り
  5. 5.天神様がこよなく愛した梅

天神様とは

出典:写真AC

「天神様」とは、おもに平安時代の貴族で漢学者の菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)った天満宮、あるいは、祭神である道真を親しんだ呼び名です。神道においては「天神」という特定の神様は存在せず、「天に住む神様」を表す総称でした。道真が没後に「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」として祀られるようになり、ほかのさまざまな信仰が取り込まれたものが、現在の天神信仰です。

天神様と菅原道真

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現在全国にある天満宮は、平安時代に菅原道真の怨霊を鎮めるために京都と大宰府で神として祀り、天満宮を建てたことに始まります。道真が怨霊といわれたのはなぜかといえば、道真が59歳で亡くなったあと、京の都では貴族の不審死が相次ぎ、政庁への落雷も起こったためです。道真は朝廷での権力争いに敗れ、無実の罪で九州の大宰府(だざいふ)に送られていたので、その無念で怨霊化したと噂になりました。

ボタニ子

ボタニ子

落雷は天の神(天神)が起こすともいわれていました。

天神様と梅の関係

出典:写真AC

天神様と呼ばれる菅原道真は梅が好きだったと伝わっています。京都にある道真の邸宅跡にも梅が植えられ、福岡の太宰府天満宮には6000本の梅の木があり、梅の名所のひとつです。京都の北野天満宮には1500本の梅の木が植えられ、花の見頃の2月~3月には一般公開されます。道真は幼少期から梅に親しんで育ち、5歳や13歳(11歳とも)の頃に道真が詠んだと伝わる和歌や漢詩にも梅にちなんだものがあります。

ボタニ子

ボタニ子

古代中国では花といえば梅です。道真は漢学者(中国の学問に詳しい学者)としても梅の花に親しみがあったといわれています。

天神様と梅の歴史

出典:写真AC

天神様と梅の歴史は、菅原道真が亡くなったあとに、天神様として祀る太宰府天満宮が建てられた頃から、今に続いています。生前、道真が梅を好んだことを知っている人々が、彼への親しみも込めて大切にしていたのが残された梅の木です。それにちなみ、各地の天満宮にもたくさんの梅が植えられ、なかには信仰深い人から新たに奉納された梅の木もあります。

天満宮の梅紋

太宰府天満宮の社紋は梅紋(梅花紋)を使用しています。菅原道真が梅花紋を使用していたという記録は残っていないため、道真が梅を好んだためとする説が有力です。北野天満宮では同じ梅紋の星梅鉢を、東京の湯島天神では梅鉢紋を使用していて、少しずつデザインが異なります。梅紋は種類が豊富な紋のひとつで、多くみられるのは天神信仰が広まっている西日本です。

飛梅伝説

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菅原道真が大宰府に左遷になったとき、京都を発つ前に梅の和歌を詠みました。京の邸宅に植えていた梅が、その和歌に応えて道真のいる大宰府へ飛んだといわれるのが有名な「飛梅(とびうめ)伝説」です。一説によれば道真を慕った知人が、京の邸宅から梅を根分けしたことを「飛んだ」と表現しているともいわれます。現在の太宰府天満宮の本殿右前の梅が飛梅です。

菅原道真が詠んだ梅の和歌

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道真が詠んだ和歌のなかにも、梅の花を題材として詠んだものがいくつか残っています。道真は幼少の頃から和歌をたしなんだとされ、庭にある梅の木など、身近な梅について詠んだ句があります。そのほか漢詩なども残されており、道真がどれほど梅を好んでいたかが見て取れます。

「東風(こち)吹かば におひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」

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現代語訳:(京の邸宅の)梅の花よ。春風が吹いたなら、(花を咲かせて)よい香りを届けて欲しい。主である私がいなくなっても、春の訪れを忘れないでくれ。
 

道真が京の邸宅の梅の木を思い、詠った代表的なもので、飛梅伝説に出てくるのもこの和歌です。京の都を離れなければならないことへの無念や梅への愛情を感じられます。「拾遺集(しゅういしゅう)」や「大鏡(おおかがみ)」に収められています。

「ふる雪に 色まどはせる 梅の花 鶯(うぐいす)のみや わきてしのばむ」

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現代語訳:「白梅は降り積もる雪に紛れてしまいそうなほど白い。鶯だけが見分けてほめたたえ、その美しさを味わうのだろう。」

白い雪が降る中で凛と咲く白梅に、鶯が寄り添っている様子が見えてくるような和歌です。一説には白梅は君子(くんし)、鶯は(それを見出せる)賢者に例えられるともいわれています。読み方によって違う情景が思い浮かぶ和歌です。「新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)」に収められています。

「梅の花 紅の色にも 似たるかな 阿呼(あこ)がほほにも つけたくぞある」

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現代語訳:「紅梅の色は紅(べに)の色にも似ている。阿呼(道真の幼名)のほほにもつけてみたい。」

道真が5歳のときに、庭の紅梅を見て詠んだといわれています。これが道真が詠んだ初めての和歌であるともされ、幼い頃から梅の花に親しんだ様子がうかがえる和歌です。「うつくしや 紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある」とも伝わります。

梅の中に天神さまがいる?

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梅の中の天神様とは梅の種の中にある仁(じん)のことです。なぜそれが天神様と呼ばれるようになったのかは、天神様である菅原道真が梅干を好んでいたからとも、梅の仁には毒があるからともいわれます。子どもの誤食を防ぐためにいわれたのが、「梅の種には天神様がいるから粗末に扱って(割って)はいけない」という教えです。江戸時代には太宰府天満宮に梅干の種を収める場所が設けられた時期もあります。

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太宰府天満宮と梅

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