農法の変遷とオーガニック
有機農法は近代農業への問題意識から始まりました。その歴史を追ってみましょう。
川が農地を作った
紀元前1万年頃、人類はすでに農業を始めていたと推定されています。もちろん、今まで狩猟採集だけだった人がある日突然農業を始めた訳ではありません。狩猟採集のかたわら、食べられる植物を集落の近くで意図的に生やしておく習慣が徐々に発達していったようです。
自然から食物を得ながら、少しだけ農業かぁ。オーガニックの究極的な形かも。
大規模な農地は河川の周りに発達しました。河川が定期的に氾濫を起こすことで、上流の腐植や鉱物などの養分を周辺の平野にもたらしたためです。世界四大文明はエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明でしたね。いずれも氾濫原の肥沃な農地を基盤としていました。
有機肥料の時代
灌漑技術の発達によって、川から離れた場所でも水田や田畑が作れるようになりました。しかし川から離れれば氾濫による養分補給がないので、肥料の必要性が上がったのです。肥料には植物の灰、家畜の糞や骨、人糞尿など、自給できるものが使われていました。貨幣経済が発達すると、肥料もお金で売買されるようになりました。
江戸時代には、肥料にするため家々から糞尿を買い取る業者がいました。
植物の灰や糞尿。今で言う「有機肥料」だね!
ですね。しかし当時の人々にとってはそれが「普通の肥料」ですから、「有機肥料」などという言葉はありませんでした。
人口問題と化学肥料
18世紀半ば、イギリスで蒸気機関が実用化され産業革命が起きました。都市部への人口流入と植民地からの食料輸入を背景に、人口が急激に増え始めました。人が増えれば問題になるのは食糧生産。経済学者マルサスが著書「人口論」の中で、人口爆発の危険性を唱えました。
今の食糧生産ペースでは人口爆発に追いつかない!飢餓と貧困が広がるぞ。
人口爆発を背景に、化学肥料や農薬の開発が進みました。19世紀半ばにはリン酸肥料、20世紀初頭には窒素肥料が化学的に製造できるようになり、化学肥料の重要性が増していきました。
有機農法の見直し
化学産業の規模が大きくなるにつれ、化学製品には負の側面があることも認知されてきました。特に1950年代からは水俣病の発生、ベトナム戦争での枯葉剤使用、サリドマイド事件などが報じられました。
肥料や農薬が関係するものとしては、硝酸態窒素が飲み水に混入して起きたメトヘモグロビン血症、殺虫剤DDTの環境残留などがあります。
これらの問題がクローズアップされ、化学工業そのものへの不安が生じました。有機肥料を中心とした昔ながらの農法(organic agriculture)に回帰しようとする運動が欧米で始まり、日本でも1970年代から「有機農業」という言葉が使われるようになったのです。
「有機農業」って、かなり新しい言葉だったのね。
まとめ
本記事の内容を簡単にまとめます。
- 農産物の場合、オーガニックとは有機農法で育てられた作物を意味する。
- 有機農法は有機JAS規格によって定義されている。有機JAS規格は農産物、加工食品、畜産物、家畜飼料を対象とする。
- 有機農法では使える肥料・農薬に制限がある。肥料は有機肥料中心とし、農薬は緊急時を除き使用しない。そのため無肥料・無農薬とは違う。また、あくまで生産方法の規格であり、品質規格ではない。
- 有機農法は、化学製品を多用する近現代農業を批判し、それ以前の農法に戻ろうという運動から始まった。
大変そうだけど、やっぱり家庭菜園でも挑戦してみたいわ。
ぜひ挑戦してみてください。うまく栽培できたときの感動はひとしおです。ただし、いくら有機JAS規格の方法にしたがっていても、承認を受けなければ「オーガニック」「有機野菜」と表示して譲渡・販売することはできません。その点だけ注意してくださいね。
道は険しいと思うけど、頑張って続けてみよう!
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学校では「縄文時代は狩猟採集」と教わったかもしれませんが、実際は補助的にクリや陸稲(畑で栽培するイネ)を栽培していたという説もあります。